光跡のアルケー 第一章 後篇

光跡のアルケー ~変わりゆく世界~ 第一章 後篇  淡夏

 

 

次の日、教室に入ると同時に、トモと視線がぶつかった。向こうはぎこちない表情をしていたが、私は何事もなかったかのように笑ってみせた。トモに平常心でいろと言うのは無理な話だろうから、せめて私は普通でいようと思ったのだ。実際、私の気持ちがどうこうなったわけではないのだし。

「おはよう」

タクヤに挨拶すると、寝ぼけたような声が返ってきた。その呑気さに安心し、自分の席に座った。

変わったこともあるけど、変わらない。いつも通りの一日が、こうして始まる。

――はず、だった。

“それは”と突然起こった。

「あああああぁぁぁ!」

キリオが叫び出したと思ったのも束の間、ぐにゃりと、視界が歪んだ。

色という色が混ざり合い、点滅する。

ざらざらとした巨大な舌に舐められたような肌の感覚。

頭の中が、ぐちゃぐちゃとかき混ぜられるな気持ちの悪さ。

私という人間を作り上げた意味が、粉々に砕けていくような苦痛。

痛い、痛い、痛い。

何も考えられない。そもそも、使うことのできる言葉を失っている。

痛みを訴えるだけの器官となった脳を引きずり出すように、頭を掻き毟る。

永遠に続くかのように思われた地獄の時間は、しかし突如として終わった。

痛みは引き、少しずつ視界が元に戻っていく。

同時に、自分という存在をしっかりと認識する。

記憶の連続性を確認。

大丈夫、私は正しく神木ケイという人間だ。

何とか落ち着いてきたところで、周囲を確認する。

九人しかいないクラスメイトの全員が、苦痛に顔を歪めながらもきょろきょろと辺りを見回していた。皆、同じ体験をしたようだ。

「おい、皆大丈夫か」

タクヤが呼び掛けると、皆頷いた。

わけは分からないが、とりあえずは一安心――する間さえ、私達には与えられなかった。

不意に、窓の外から強烈な存在を感じた。私達は一斉に“それ”を見た。

「何、これ」

驚愕は誰の口から漏れたものだったのか。

窓の外には、巨大な目があった。何の感情ももたない、ただ、私達を見るだけの丸い目が。

“それ”が何なのか、恐らくは私達全員が直感的に理解した。その目は、第二世界のエネルギーそのものだと。

理解はできないが、第二世界のエネルギーが、第一世界に物質として現出した、といったところだろうか。だから、目とは言っても生物的なものではなく、かと言って無機物でもない。うまく説明できないが、“目”という概念が質量を得たような、そんな存在だった。

「精霊……?」

トモが呟く。まさかとは思うが、それが一番しっくりくる。けれど、精霊そのものが第一世界に物質として現れるなんて話は聞いたことがない。

状況は理解できず、混乱に身を任せたまま、私達は呆然とするしかなかった。

混乱が恐怖へと変わるその前に、振動が教室を襲った。

私は吹き飛ばされ、背中を壁に打ち付けられた。一瞬呼吸が止まり、その場にうずくまる。

苦しい、苦しい、苦しい。

そんな言葉に浸食されそうになる自分に喝を入れ、何とか、目を開けた。

そして――開けなければ良かったと後悔した。

あったはずの窓や壁はどこかに消え去り、床も半分は崩れ落ちている。椅子や机は飛び散って壊れており、教室の中で、無事なものは何もなかった。

そう、何も。

「キリオ?」

彼と思しき身体は、腕や足があらぬ方向に曲がっており。

「トモ?」

彼女と思しき身体は下半身が無く、顔も潰れており。

「タク、ヤ?」

彼と思しき頭は、目玉が飛び出たまま、目の前に転がっていた。

何も、考えられなかった。

状況の理解が追いつかないし、追いつきたくもないと本能が拒否していた。

何もしたくはなかった。けれど、引き寄せられるように視線を上げる。

そして、“それ”と目が合った。

“それ”は真っ直ぐに私を見つめている。表面だけではなく、内側まで。

悪寒が背筋を走る。

逃げなきゃという命令が頭から発せられるが、神経がバカになったように身体は動かない。

動け、動け、動け。

必死の思いで念じるも、何も変わらない。

焦りばかりが募る。

「神木!」

誰かに腕を取られ、無理矢理に立たされる。

「走れ!」

その人に引っ張られたまま、震える足で走った。

崩れた壁を抜けた瞬間、背後で爆音が響く。

「振り向くなよ、今は走れ」

「ユウリ先生……?」

先生は私の手を引っ張ったまま、階段を下っていく。

「先生、何が……」

「そんなのは後回しだ」

一階に到着すると、先生は階段の横にある扉を蹴っ飛ばして開けた。

「ここは……?」

「とりあえずこの中に入れば、何とかなる」

色々と説明して欲しかったが、校舎を襲う衝撃は止まない。先生に手を引かれ、私は扉をくぐった。

扉の中にはまた階段があり、それはずっと、地下まで続いていた。

「学校にこんなところがあったなんて……」

「生徒どころか、一般職員も立ち入り禁止だよここは」

「一般職員て、先生は一体?」

「あんまり説明はできないんだ。先生にも、秘密がたくさんあってね」

階段は思ったよりも長い。こんなに深く掘る必要なんてあるのだろうか。だが、おかげであの“目”もここまではやってこないだろう。少なくとも、しばらくの間は。

あんなものに襲われたら、私も、皆みたいに……。

先程の地獄図が、脳裏を過る。

途端、足ががくがくと震え、吐き気がこみ上げてきた。

皆、皆、死んでしまった……。

「大丈夫、ではないよな。悪いが、進むぞ」

冷静な先生の声のおかげで、何とか私は持ちこたえた。

「先生、皆は……」

先生は答えてくれなかった。それだけで、充分な答えだったのだが。

五分程して、ようやく階段を下りきった。だが休む間もなく、先生は先へと進んだ。

真っ暗な横穴を、先生の持つライトだけを頼りにひたすら歩く。

漏れるライトの光が、時折、壁際に置いてある巨大な石像を照らした。石像はまばらにいくつも置かれていた。気付いてから数えただけでも、ゆうに三十は超えているだろう。

「ここは、何なんですか」

ひとまずの危機は回避したのだから、そろそろ何か教えてくれても良いはずだ。でないと、不安で押しつぶされてしまう。

先生もそれは察してくれたのだろう。淡々と、先生はこの場所のことを語ってくれた。

「ここにあるのはな、皆ゴーレムの出来そこないだ」

ゴーレム研究が衰退していく中、それでも一人の魔術師は“永遠の命”を諦めることができずにいた。彼は最高のゴーレムを作るため、地下に巨大な施設を作り、数人の弟子と共に人目を忍んで研究を続けたそうだ。

「それが、この地下なんだ。学校は、その研究室の上に建ってたんだよ」

「何でまた、そんなところに」

「それは、大人の事情だ。ともかく、ここはゴーレム研究所の成れの果てなんだ」

魔術師は研究を進めたが、人々は彼のことを忘れてしまい、彼のその後を記録したものも存在しない。

「彼がどうなったのかは分からない。この学校が建てられる頃には、ゴーレムの出来そこないばかりが残っていたんだ。まあ、そんな話は置いといて、そろそろ着くぞ」

先生がそう言うと、一際広い場所へと出た。頭上を見上げても、ただ闇が広がっている。入口の反対側には、二本の大きな柱が立っている。ここが研究所の中心部だろうか。

「神木、お前はここにいろ」

先生は私にもう一本のライトを押し付けてきた。

「え、先生は……」

「私は事態を収拾せにゃならんのでな」

「そんな……」

一人ぼっちにされて、耐えられる自信は全くない。もう限界なのだ、色々と。

そんな私を気づかってか、先生は余裕のある微笑みを向けて言った。

「大丈夫。なるべく早く戻ってくるから」

そうして、先生は去っていった。

二本ある柱のうち、右側の方に背中を預けて座り込んだ。

土に覆われた地下の空間は、寒いというよりも冷たい。魔法で暖はとっているものの、この場所の第二世界には火や熱さに関係する存在は少ないようで、少し心許ない。もっとも、キリオのように熱に特化した魔法使いがいれば、私では認識できない精霊を発見することもできるのだろうが……。

キリオ。そんな名前の人間は、もういない。

トモも、タクヤも。

もう、この世にはいない。

昨日まで、一緒にいたのに。

あんな、ことに……。

胃液が喉元までせり上がってくる。潰れた内容物の感触と、喉が溶かされるような気持ち悪さ。

我慢しきれなくなって、吐いた。

吐いて、吐いて、吐いて。もう何も出てこなくなっても吐き続けて。

けれど、脳裏に焼きついた光景は消えてくれやしない。吐瀉物に紛れて、全部身体から出ていってくれれば良かったのに。

吐き気が治まったかと思うと、今度は堪らなく涙が溢れてきた。

生死の危機から逃れ、頭が現状を理解しだしたのだ。

理解、してしまったのだ。

――皆、死んでしまった。

私の日常は、もうどこにもないのだと。

こんなのはあんまりだ。

私達は、ただいつも通りの日々を過ごそうとしていただけ。

なのに、いつもいつも、変わってしまうのは突然で。

私は、暴力的な変化に振り回されるばかり。

変わりたくない。

変わらないで欲しい。

そう願っただけ。

今も。

五年前も。

込み上げる気持ちは声になり、子供のように泣きじゃくった。

泣いても泣いても、涙は枯れず。

ごちゃごちゃと気持ちばかりが溢れていく。

――ユウタ。

堪らず、胸の内で呟いた。

その名前は次々に幸福な時間を呼び起こす。

ユウタ、そして今はいない、もう一人と過ごした、遠い日々を。

例えば、三人で駆けまわった夕暮れの町。

時間を忘れ、日が落ちてから帰ったせいで皆して怒られた。

例えば、三人で笑った紙芝居。

月一度やってくる紙芝居屋さん。お菓子を頬張りながら鑑賞し、終わった後は感想を皆で交換しあった。

例えば、三人で見上げた、冬の星空。

忘れられない、忘れるはずもない。大切で何気ない日々の、煌めく一ページ。

会いたい、二人に。

戻りたい、あの頃に。

――ユウタ。

――アキラ。

目を瞑り、膝をぎゅっと抱え、大切な二人との時間に逃避しようとした。

そんな時――ふいに、懐かしい声が聞こえた気がした。

「えっ」

空耳かとも思ったが、もう一度、私を呼ぶ声が確かに聞こえた。

――ケイ。

「アキ、ラ……?」

突然、背後で物音がした。同時に、途方もない“何か”の存在を、私の第六感が知らせる。

あの“目”とも違う、圧倒的な存在感。今まで知覚した精霊やエネルギーとは比べ物にならない。

振り向いて見上げる。そこにあったのは、巨大な胴体と、こちらを見下ろす冷たく青い光。私がもたれていたのは、どうやらそいつの足だったらしい。

巨大な、ゴーレムだった。

全長は二十メートルを越えるくらいだろうか。この空間の天井が高いのも、恐らくはこれを収納するためなのだろう。

来る途中で見かけた出来そこないとは違い、これは“生きた”ゴーレムだ。

他に生きたゴーレムを見たことはないが、これが規格外だということははっきりと分かる。一つの山の第二世界を以てしても、これ程のエネルギーには届かないだろう。

遥か頭上の青い双眸が私を見つめる。

これだけ圧倒的なものを目の前にし、しかし私の心は不気味な程に落ちついていた。危険だと頭では分かっていても、それを恐れることはなかった。

ゴーレムはゆっくりと屈み、私に右手を差し出す。

導くように、試すように。

――予感はあった。

これに触れれば、何かを得ることになる。私なんかでは制御することのできない、途方もない何かを。

私は、そいつの青い目を見つめ返し、ぎゅっと拳を握った。

そして、恐る恐る右手を差し出し、その巨大な指に触れる。

瞬間、私は青い光に包まれた。

 

(続)

 

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