光跡のアルケー 第二章 後編

光跡のアルケー ~変わりゆく世界~ 第二章 後篇  淡夏

 

 

「五年前の事件」

思い出したように私は呟いた。

場所は食堂。朝食を食べる三人の視線がこちらに集まる。

意味も考えずに言ってしまったので、皆の反応にも間抜けな表情で返すことしかできなかった。

「ケイ、それって……」

「いやね、特に意味はないんだけどさ。何となく思い出しちゃって」

食事時の話じゃないのにね、と苦笑いで誤魔化す。本当に、食事の時には向かない。私自身、あまり触れたくはない話題なのに。

「五年前、か」

話題を変えたかったのに、ソウタくんは私の言葉を拾ってしまった。

「魔法使い連続誘拐事件。確かこの近くでも何人か犠牲者が出たんじゃ……」

「ソウタ、すまない。その話は止めにしないか」

柔らかい口調でユウタは言った。

ああ、悪いとソウタくんはその話題を止めてくれた。

申し訳なかった。私の不注意で、ユウタを嫌な気にしてしまったのだから。

ユウタにとっても、その話は気持ちの良いものではない。

あの事件のせいで、私達三人の時間は奪われてしまったのだから。

何とも言えないぎくしゃくした食事が終わり、研究所での日々が再開した。

 

それぞれが研究に勤しむ中、私はまだユウリ先生の部屋で書類整理をしていた。

よくよく考えると、ユウリ先生の部屋の書類は機密情報ばかりだ。そんなものを私が整理していて良いのだろうか。そう聞くと、ユウリ先生は煙草を吹かしながら言った。

「情報ってのは、人によって価値が異なるんだ。ここにある情報は、神木にとっては無価値も同然だろ?」

「それはそうですけど、もし私が捕まって、尋問でもされたらどうするんですか」

「問題ない。というより、お前が捕まるような状況になれば、それは情報漏洩どころの問題じゃ済まない。その時点で私の首が飛ぶよ。比喩ではなく、ね」

少しだけ、聞いたことを後悔した。改めて、今が日常からかけ離れたものだと思い知らされてしまったから。

余計なことを考えないように、私は書類整理に集中する。

その時である。

「ユウリ先生、ちょっと良いですか?」

ノックもせずに雪花さんが入ってきた。先生はそれを軽くたしなめる。

「ノックもできない奴はろくな大人にならないぞ」

雪花さんは全く意に介さずに話を続ける。本当にマイペースな子だ。

「神木さん借りても良いですか? ちょっと試したいことがあるので」

マイペースどころの話ではなかった。他人をモノ扱いとは、さすがの私もかちんときた。

上げようとした抗議の声は、しかしユウリ先生の良いよー、という軽い返事を前に霧散してしまった。

「先生!」

やり場のない怒りを先生に向けるがどこ吹く風。先生は気のない声で言った。

「一応、ここのメインはアルケーの研究だしな。それに」

先生はふっと白い煙を吐いた。

「退屈してたろ? お前」

 

確かに退屈はしていた。だからといって、モルモットになるのが良いと暇つぶしになるかと言えば、それは違うと声を大にして言いたい。

「うーん。まあでも、今の神木さんて実際に私達のモルモットなわけだし」

「ほんと、雪花さんてマイペースだよね」

他人の気持ちをここまで無視できる人間もなかなか珍しいと思う。ここまで自分勝手な物言いをされると、逆に清々しい。

そうこうしているうちに、雪花さんに宛がわれた研究室に辿り着いた。部屋の中にはたくさんの機械が置いてあり、その配線は中央にある椅子に集中している。

失礼な話かもしれないが、魔術師、しかもゴーレム師の研究室のイメージとは違う。どちらかというと、科学の方が近いような。

「ゴーレム作りの部屋じゃない、って思った?」

雪花さんの言葉に頷く私。雪花さんは部屋に踏み込む。

「そりゃ、普段はもっと違う部屋でするんだけど。今は科学者にも協力してもらってるからねー」

そうして一台の機械の前まで来ると、それに声を掛けた。

「どう? いけそう?」

「何とか調整は終わったよ。専門じゃないから、保障はできないけどね」

機械の向こうから顔を見せたのは、ソウタくんだった。

「全く、僕らの他にも研究員はたくさんいるのに。それも、よっぽど経験のある」

「でもさ、大人の力借りるのは癪じゃない? 既にここまでお膳立てされてるんだし、自分達でやれることはやりたいじゃん?」

言い方は軽いが、その表情は力強い。自信というよりも、野心に満ちている。

「正直思わないところがなくはないんだけど、協力してもらうよ、神木さん」

やっぱり、苦手なタイプの人間だ。自信家で、人の気持ちなんか知らないで。

けれど、ひたすら真っ直ぐで、強くて。

そして、どこまでもフェアで。

初日の夜の会話も、私に対して自分の立場をはっきりさせるためのものだったと考えるのは、好意的に解釈し過ぎているだろうか。

どういうわけか、ここに来るまでの会話で、だいぶ雪花さんのイメージ像が変わってしまったようだ。何だか、嫌いにはなれない人、と。

「しょうがないなぁ」

そして私は、二人の研究に付き合うことになった。

 

中央の椅子に座った私の頭は、何やらごわごわとした帽子のようなもので覆われていた。そこから複数の線が伸び、周囲の機械へと繋がっている。何だか自分がこの部屋の一部になってしまったようで、あまり気持ちの良いものではない。

「ちょっと脳波を測定するだけだから、大丈夫だよ」

そう言いながら雪花さんは着々と準備を進めていく。

「脳波の測定? でもそれはとっくに……」

魔法使いと魔術師との違いは、脳の作りにあると考えられている。そのため、この生活が始まってすぐに脳の検査を受けさせられた。そのデータは残っているはずなのだが……。

「それがねー、くれなかったの。アルケーに関するものはくれたんだけど、それは神木さんのプライバシーだから駄目だ、って。それに、最初の検査って政府の管轄でしょ? だから、一応学院側である私達にデータなんて渡してくれないよ」

椅子の周りに、何やら粉のようなものを振りまきながら雪花さんは言った。

「まあ向こうが提供するのは駄目でも、こっちが自力で手に入れるのは良いでしょう。それに、たぶん私達の望むようなデータは貰えないだろうし」

よし、っと雪花さんは手を叩いた。見れば、椅子を中心に魔法陣のようなものが出来上がっていた。

「これは?」

「ああ、これ? 精霊呼びの準備。できるだけアルケーの内部を再現したくて」

「内部?」

雪花さんは頷く。

「ゴーレムにも神経のようなものがあってね。この配線はその模写みたいなものなの」

ゴーレムは元々、人間を再現するために作られたものだという。だから、その内部構造は人体を模して設計されているそうだ。

「とは言っても、ホムンクルスとは違って人間そのものを創るわけじゃない。あくまで模造品。そのために、人体の構造を理解しておく必要がある……んだけれども。一つだけ、人体にはブラックボックスがある」

「ブラックボックス?」

「ここだよ」

そう言って、雪花さんは右手の人差指で自分のこめかみを叩いた。

「脳に関しては未だに謎が多い。ホムンクルスは人間の素を創り、育てることで完成する。だから、完成した脳を創る必要はない。けれどゴーレムは、完成した脳の構造を理解し、模造する必要がある。そのため、本当に完全な意味でのゴーレムを創り上げた人間なんていないの」

現在のゴーレムは脳の代わりに、“エメス”と呼ばれる装置を搭載し、第二世界的なエネルギーを流しこんで動かしているそうだ。これが無ければ、いくら精巧に人体を模したゴーレムでも、ただの石像と変わりはない。

「ところが、アルケーには“エメス”が組み込まれていなかった。アルケーには、脳がない。つまり、未完成だったの」

「アルケーが、未完成……?」

あれだけの存在が、未完成?

「そんなはずは……」

あれがどんなものかは、私が一番知っている。理解はできないけれど、それでも知っている。

大きくて、海のように底のない存在。

引きこまれないように、ただ抗うことしかできなかった。

あの圧倒的な存在が、未完成?

呆ける私に、雪花さんは苦笑しながら言った。

「未完成、だった。て言ったでしょう? そう、完成したんだよ、神木さんのおかげでね」

「私の……おかげ?」

雪花さんは頷く。

「そう。アルケーには脳がない。だから動かない。言い換えれば、脳さえ組入れればアルケーは動く。つまり――あなたが、アルケーの脳なの」

雪花さんの言葉が、背筋をぞわりと駆け抜けた。

私が、アルケーの脳? ゴーレムの、パーツ?

寒気が、した。

両腕で、身体を抱きしめる。

足が、震える。

「神木さん!」

雪花さんの声で、はたと我に返る。嫌な汗をかいているが、震えは何とか収まっていた。

「……大丈夫?」

睨むように向けられた視線は、けれど、どこかこちらを気づかうような色を秘めていて。おかげで、気持ちの方も落ち着かせることができた。

「ごめん、考え無しだった。仮説だし、気にしないで……って言っても駄目か」

考えこむように腕を組み、溜め息をついて雪花さんは言った。

「ごめん、ソウタ。やっぱ今日の実験、無しにしよ」

肩を竦めながらも、ソウタくんは雪花さんの言葉に同意する。

二人共、気遣ってくれている。

少し意外だった。ソウタくんはともかくとしても、雪花さんは私にそうした配慮をしてくれるとは思っていなかった。そこまで色眼鏡で見ていた自分が、何だか恥ずかしくなる。

二人の気持ちは純粋に嬉しい。もちろん、私の体調が万全でないと結果が出ない、といった理由もないわけではないだろう。それでも、私の身を案じてくれていることに変わりはない。

だからこそ、私は二人に言った。

「……続けようよ」

驚きの表情が返ってきた。雪花さんなど、あんた何言ってんの、と顔で語っている。

私は二人の厚意を無碍にしようとしているわけはない。むしろ、そんな二人だからこそ実験に付き合いたいのだ。

それに、私自身もアルケーについてもっと知りたい。

知って、使いこなしたいのだ。

あの“目”のように、私から何もかもを奪う理不尽と戦うためにも。

「続けようよ」

意思を言葉に託し、私は二人の顔を見た。

何かを感じ取ってくれたのか、雪花さんは分かったと頷いた。

「神木さんがそこまで言うのなら、続けようか」

二人は準備に取り掛かろうとした。その前に、雪花さんは今まで見たことのない表情で言った。

「神木さんて、意外と嫌いなタイプじゃないのかもね」

それは力強い、親愛の笑顔だった。

 

 

*  *  *

 

 

研究所の屋上で、ユウタは一人、空を見上げていた。

広がる星空は、けれど彼の知っているものよりもまばらだった。

「また、ここなんだ」

リナが現れ、ユウタの隣に並ぶ。

「ユウタって、何か行き詰る度に星見に行くよね」

「落ち着くんだよ、星空見てると」

ふーんと、リナも天上を仰ぎ見る。綺麗だとは思うが、それ以上の感想を持つことはできない。同じ景色を見ているのに、ユウタとは違うものを見ている。その現実は、いつだってリナを苦しめる。

「ロマンチスト。似合わない」

からかうように言ったリナ。そのつま先は、とんとんとコンクリートの床を叩いている。

「で、本当に進展はないの?」

「ないよ」

淡々とユウタは答え、大きく伸びをした。

「精霊王ってのが、具体的に何なのか。見当もつかないよ」

「まあ、精霊に関してはそんなに研究が進んでるわけじゃないもんねぇ。ユウタのやってることが、一番難しいと思うよ」

「なら、余計に成果出さなきゃな」

「……それは、誰のため?」

リナはユウタの顔を見上げる。口をきっと結び、真っ直ぐに見つめる。

最近似たような質問を受けたなと、ユウタは思う。言葉は違っても、きっと聞きたいことは同じだったのだろう。

だから、返す答えも同じだ。

「推薦枠を手に入れたいから。将来的に、学院の地位にも影響するだろうしな」

他人なら通用する理由にも、リナは納得しない。誰かと、同じように。ただリナは、誰か以上の質問をした。

「学院での地位を手に入れるのは、誰のため?」

夜風が二人の間を通り過ぎる。リナは胸に手を当て、改めてユウタを見つめる。願うように、祈るように。

ユウタは答えない。その質問に対する答えを、決して口にはしない。

「そっちの研究は進んでるみたいだな」

露骨な反応に、リナは諦めにも似た溜め息を、小さく漏らした。

答えられない。そのこと自体が答えだと、彼女は嫌という程、分かってしまった。

くじけそうになる心に喝を入れ、話を合わせる。明確な答えを聞かない内は大丈夫。そう、リナは信じようとしている。

だが、そう信じきれない気持ちが、言葉を変え、口から零れた。

「まあ、進んだと言うか、やっと準備が整ったと言うか。協力してもらったんだよ、神木さんに」

え、と声を漏らし、ユウタはリナを見る。

油断したなと、リナは思った。それくらい、彼女を見るユウタの表情は隙だらけだった。

「データは取れたから、後はアルケーを第二世界観測にかけて照合するだけ。最も、そこはユウタに頑張ってもらわないと、だけど」

「ケイを実験に使うのか」

リナはわざとらしく空を見上げる。星々の輝きはどこか心許ない。

「言っとくけど、最後は本人の意思だからね。過保護なんだよ、ユウタは。あの子、たぶんユウタの思っている以上に強い子だよ」

「……」

リナがケイを実験に誘ったのは、何もアルケーの研究を進めることだけが目的ではない。ケイが実験に参加することを拒み続けていた誰かさんに対する当てつけ。少なくともリナには、そういう魂胆があった。

ユウタの専門分野は“第二世界学”。第二世界そのものを研究対象にした学問だ。第二世界の研究とは言っても様々なアプローチがあるのだが、ユウタが主とするのは“人間の脳と第二世界の関係”についてだ。

アルケーの起動は、その中にある精霊王が、ケイの脳に反応したがために起こったのではないかと推測されている。政府の魔術師達はケイの脳とアルケーの関係を立証しようと試みたのだが、結果は芳しくなかった。

「政府の実験は、魔法使いの脳をアルケーの制御装置として考えてたからうまくいかなかった。だけど私の仮説なら、きっとうまくいく」

「ケイの身の保障は無いけどな」

ユウタには分かっていた。リナの考えが正しいことも、どうすればそれを実行に移すことができるのかも。だから、明日にでも実験を行えば、アルケーは起動するだろう。

ただ、その後にケイの身に何が起こるのかが分からないだけで。

ユウタは、心の中で舌打ちをした。ずっと考えていたのだ、どうすればケイの安全を確保できるのか。どうすれば、実験を止めることができるのか。何一つ思いつかない自分に、苛立ちは募るばかり。

「明後日」

リナは言った。

「ソウタのデータ解析が終わったら、アルケー起動実験を行うよ。さっき学院の指示があった。だから、ユウタにも拒否権はないよ」

そうかと一言呟き、ユウタはもう一度天を仰ぎ見た。星が一つ、瞬いて消えた。

 

 

*  *  *

 

目の前にそびえ立つ巨大な人型。圧倒されるばかりの巨体は、けれどその大きさ以外の存在感を失ってしまっている。

「調べれば調べるほど、本当によくできたゴーレムなんだよね。完成に魔法使いが必要なこと以外は」

隣にいたリナは言った。

「ゴーレムは、完全に人の手で作り上げることに意義がある。なのに最後のパーツが、人間の作ったものではないっていうのが気に入らない」

「まあ仕方ないんじゃないの? ユウタの計算に間違いがなければ、アルケーに使われてる第二世界エネルギーは人間が制御できるものじゃないし」

ソウタは椅子に座り、カタカタとキーボードを叩きながら言った。

「こっちは準備完了だよ。後はユウタと神木さん次第かな」

ユウタは未だ来ていない。準備が長引いているそうだが、それでも時間通りに来ないのはらしくないなと思う。

「まあそのうち来るでしょう。それよりも、神木さんは大丈夫なの? こないだの実験の後だって、ちょっと無理してたでしょ?」

雪花さんの口調は、どこか咎めるような色を含んでいた。

一昨日の実験が終わった後、部屋に戻るや否や私はベッドに倒れ込んだ。頭痛や吐き気が止まらなかった。一晩寝れば回復したのだが、正直なところアルケーが動いた後にどうなるのかという不安は拭えない。

それでも、私はアルケーを動かしたい。理不尽と戦う力を、手に入れたい。

目を瞑り、呼吸を整える。

と、そこで格納庫の入り口が開いた。

「悪い、遅れた」

「ほんと遅いよユウタ」

頬を膨らませながら、雪花さんはユウタを指さす。ユウタは特に悪びれる様子もなく私達の横を通り過ぎ、ソウタくんの隣へと歩いていった。

「ソウタ、データを見せてくれ」

はいよ、と渡された書類を見るユウタの目。まるで機械のように情報を収集するその様が、私には怖ろしかった。そんなユウタを見たのは、初めてだった。

「ケイの準備ができたら、始めようか」

周囲を見回しながらも、ユウタの視線が私を捉えることはなかった。

そうして、アルケー起動実験が開始された。

 

起動実験とは言っても、やることは一昨日の実験とそう大差はなかった。ただ、洞窟のようなアルケーの頭の中は、実験室と違いどこか息苦しい。

ヘッドフォンのような形をした脳波計から声が聞こえた。

『神木さん聞こえる?』

脳波計にはイヤホンが搭載されており、他の三人とユウリ先生といつでも会話することができるようになっている。

『こっちでもモニタリングはしてるけど、何か異常があったらすぐに報告して』

はきはきとした雪花さんの声は、とても心強い。

「分かった、ありがとう雪花さん」

『……リナで良いよ』

一瞬聞き間違いかと思った。けれど、確かに聞こえたその言葉は、不安よりも強い気持ちを与えてくれた。

『さ、始めるよ』

照れ隠しのような声の後、俄かに空気が熱くなった。

『少し苦しいかもしれないが我慢してくれ。これは第二世界の精神汚染を緩和するための薬で、人体に影響はない』

ユウタの声。どんな表情をしているのかここからでは分からないが、さっきよりはいつものユウタらしかった。

『これ作ってたから遅れたんだよねー、ユウタ。無くても実験は始められるっていうのに』

雪花さん……リナはわざとらしい口調で言った。

『前にも言ったけど、ユウタって過保護』

『うるさいな。余計な話はしなくて良いだろ』

そのやりとりを聞いていると、何だか暖かさが胸に広がっていく。

『お二人さん、そろそろ始めたいんだけど。神木さんもそろそろいける?』

ソウタくんの声で場の空気が戻る。

「うん――始めよう」

よし、と気合いを姿勢を正した。

『ケイ』

そこに、ユウタの声が聞こえた。

『いや、何でもない。無理はするなよ』

――その声で、口許が少し緩んだ。

きっと、大丈夫。

そう確信して、私は目を閉じた。

 

やることは簡単だ。

ただイメージするだけで良い。自分が、アルケーの一部だということを。

政府の実験は、アルケーをコントロールすることに重点を置いていた。だから私も、アルケーの手足を動かすイメージで実験に臨んでいた。そのため第二世界干渉レベルが上がらず、精霊王に触れることすらできなかった。

けれど、今回は。

頭のスイッチを一つずつ切り替えていく。

しばらくすると、空気がまるで質量を得たように私に纏わりつく。

音を色で感じとる。

目を開く。

この空間は白く、どこまでも白く澄んでいる。

耳をそばだて目を凝らし、空間の避け目を探す。

白だけが支配する中に一点だけ、青い染みがあった。

意識をその一点に集中する。

染みは少しずつ空間に滲みだし、白を染めていく。

広がった青は私を包み、呑み込んだ。

イメージは海。

どこまでも、どこまでも沈んでいく。

深海の中にも似たこの息苦しさを、私は知っている。

これが――精霊王。

手を伸ばす。

海の果てへ。

存在の果てへ。

瞬間。

海が荒れた。

右へ左へ、青い潮流が私を弄ぶ。

身体が引きちぎられそうになる。

歯を食いしばり、耐える。

――落ち着け、落ち着け。

痛みを頭から追い出し、意識を研ぎ澄ます。

今の私は――この“私”では、ない。

私は。

意識から自我を追い出す。

融けていく。

ここにある意識が、融けていく。

融けきらなかった部分は欠片となり、散り散りに青に呑み込まれていく。

最後の欠片が流されそうになったその時。

“私”は、青よりも蒼いその光を捉えた。

「――見つけた」

 

 

*  *  *

 

 

計算機の針が狂ったように回転する。

「どうしたの!」

リナの叫びが響く。

アルケーの全身を、雷のような蒼い光が駆けずり回っている。

「想定以上の数値だ。まさか、ここまでのエネルギーを秘めているとは……」

ソウタは後ろを振り返った。

「ユウリ先生、実験の中止を!」

だが、ユウリの首が動くことはなかった。

「ユウリ先生!」

ユウリはただ、じっとアルケーを睨みつけている。

と、ユウタが立ち上がり、ソウタからキーボードを奪った。

「ユウタ……?」

「第二世界の干渉力レベルを下げる」

キーボードに合わせ、天井から伸びた機械の腕が、チューブのようなものをアルケーの頭に射しこんだ。

「良いのか、それを使うとアルケーへのアクセス手段を失うかもしれないぞ」

「分かってる」

迷わず、ユウタが最後のボタンを押そうとした。

その時。

「待って」

リナがアルケーを指差した。

「アルケーが」

リナの指先を追って、二人はアルケーを見た。

一見すると石の巨体に変化はなかった。

いや、微かに、何かが動く音が。

「まさか……」

アルケーの右腕が、少しずつ持ち上がる。

「動いた」

その場の全員の視線がアルケーに向けられる。

蒼い光は少しずつ、アルケーの頭部に集まっていく。

そして、右腕が伸ばされるのと同時に、アルケーが一歩を踏み出した。

「成功……した」

続けて、もう一歩。

そして、だらりと両腕を下げたかと思いきや、その頭を天井に向け。

――咆哮が、轟いた。

格納庫が振動し、機材がいくつかショートした。全員が耳を塞ぎ、顔を伏せた。

振動が治まった。

皆が顔を上げると、蒼い双眸が彼らを見下ろしていた。

『……った』

ざざっと、全員のイヤホンから声が聞こえた。ユウタは飛び付くようにマイクを取った。

「ケイ! 無事なのか!」

言って答えを待つ。マイクを持つユウタの手を汗が伝う。

『やっ……』

次第に、声がはっきりとしていく。

『やったよ……』

「ケイ!」

ユウタの呼び掛けに、強い声が返ってきた。

『やったよ! アルケーを……動かせたよ!』

 

 

*  *  *

 

 

震えが止まらない。

鳴り止まない頭痛に、嫌な汗が額から落ちた。

けれど今は、苦しさよりも達成感の方が強かった。

「やったよ、本当に……」

自分でも、よく戻ってこれたなという気持ちが強い。もう、自分がなくなるような感覚にはこりごりだ。

でも、これから先も、アルケーを起動する度にこんなことを繰り返すのだろうか……。

『第二世界、事象固定完了。これで精霊王へのパスができたよ。全く、僕の専門分野じゃないのに』

溜め息混じりなソウタくんの声。パスが通ったということは、つまり……。

『今度からはもっと簡単に、手早く、安全にアルケーを動かすことができるよ』

「ソウタくん……。ありがとう」

『礼ならシステムを構築したユウタに言ってくれ。僕はそれを形にしただけだから』

「そっか……」

ほっと、息を吐いた。

「ユウタ、ありが……」

『ケイ!』

イヤホンに甲高い声が響く。

『良かった、無事で。本当に、良かった……』

泣き崩れるリナ。彼女は、本気で心配してくれていた。

そして――名前で読んでくれた。

『……ありがとう、リナ』

どうしようもなく、心地好い。このメンバーなら、これからもやっていけそうだ。

そんな満足感に浸りながら、私は瞼を閉じた。

今は少し、休みたいのだ。

この気持ちを、抱えたまま……。

そうして私の意識は、安らぎというまどろみの中に沈んでいった。

 

 

*  *  *

 

 

「アルケーの起動に成功したようだな」

后堂ゴウジは学院長の椅子に深く腰を掛けながら、煙管を吸った。

込み上げる嫌悪感を抑えながら、ユウリは言った。

「何とか、といったところですが。しかし解せませんね。あの実験なら、学院でもできたのではないですか?」

第六感を使う必要があるから、高校生を使った。学院が政府に提出した書類には、そんなことが書かれていた。にも関わらず、実験の内容を見るに、研究者側の第六感が使用された形跡はどこにもない。報告書では濁されているが、ユウリは実際に立ち会って監視していたのだ。彼らの日次報告にも、きっちりと目を通して。

后堂は煙を吐きながら言った。

「もちろん、学院の力なら可能だっただろうな。その代わり、あの小娘が今の人格を保つ保障はなかったが」

「え……」

ユウリの間の抜けた顔を見て、后堂はいよいよ呵々と笑った。

「儂等はそれでも問題はなかった。魔法使いなど、またどこからか見つけてくれば良いだけの話。しかしな、儂はあの小娘の人格があったからこそ、アルケーが目覚めたのではないかと考えておる」

「どういう、ことですか」

后堂は再び煙管を吸い、煙をユウリに吹きかけた。ユウリは、ただじっと堪える。后堂はその様を、心底愉しそうに見詰めた。

「アルケーはな、一つで完成するものではない。同じ理論で作り上げられた、もう一つのゴーレムがある」

「もう一つ、ですって……」

后堂は頷く。

「名を“テロス”と言う」

「テロス……」

「アルケーが目覚めたのは、テロスに共鳴したからではないか。それも、あの小娘の人格があったからこそ、共鳴した、と」

「ちょっと待ってください。その、教団は……」

「アイオーンの連中は、テロスを完成させた、ということだな」

ユウリの背筋に緊張が走る。事態は、既にユウリの想像を越えていた。

后堂は椅子を回転させ、窓を見た。少しずつ、空が暗くなっていく。

「嵐が来る。それも、この世界を左右するような、な」

 

(続)

 

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