続く道に、祈りを込めて

「続く道に、祈りを込めて」 淡夏

 

真っ暗な道が、ずっと続いていた。

夜風が潮の香りを運ぶ、海沿いの道。ぽつりぽつりとある街灯の光は心許なく、慣れた足の歩みに従って、自転車を押す。

自転車に跨らないのは、何も道が危ないからというわけではない。

ただ、気分じゃないから。それだけだ。

――進路を決めてないのは、お前だけだぞ。

担任の声が、頭に重々しく蘇る。どうして、そこまで厳しく言われなければならないのだろうか。先生と生徒なんて、どこまでいっても他人同士なのに。

何が最悪って、この話題が家に帰ってからも続くことだ。今日は水曜日だから、父親は早帰りでもう家に居るだろう。そして、家族揃っての夕飯が始まるのを待っている。

何度目かの溜め息が漏れた。

お前のためだ、と大人達は言うけれど、それは本当だろうか。

例え、良い大学に入って良い企業に就職できたとして、そこから、私の人生は良い方向に向かうのだろうか。

……分からない。

さざ波が、うるさく、頭に響く。

寄せては、返し、寄せては、返し。

苛立ちばかりが、増幅されていく。

むかつく。むかつく。むかつく。

先生も、親も。

そして何より、親達に言い返すことのできない自分自身も。

さざ波が、響く。

堪らず、駆け出した。

 

「さよ……」

「ごちそうさま」

箸とお茶碗を叩きつけるように置き、母の静止を振りきって私は部屋に戻る。そんな私に、父はもう何も言わない。

本当、気に入らない。

部屋に入り、ベッドに飛び込み、とりあえず枕に憎しみをぶつけた。何の罪もない枕がぼこぼこにへこんでいく。

と、携帯の着信音が響いた。

無視してしまおうかと考えたが、音が鳴り止む気配はない。何となく当たりはついてるので、顔を枕に埋めたまま、名前を確認せずに電話に出た。

『もしもし~。あのさ、もうすぐ夏休みじゃん。暇?』

挨拶もそこそこに、唐突に話を切り出す中学からの悪友ユキ。違う高校に通っていても、未だにこうして電話がかかってくる。

彼女と私は、全く正反対のタイプの人間だ。かたや今時の快活ギャル。かたや根暗な真面目系クズ。もちろん、私は後者の方だ。接点なんてないはずだけど、それでも繋がりが続いているのは、何の因果なのだろう。

「暇……でもないでしょ。受験生なんだし、勉強、しないと」

言って、私は内心苦笑する。何で、こんな言い訳してんだろ。勉強なんてする気は、かけらもないのに。

『ずっと勉強してるわけじゃないでしょ。良いじゃん、とりあえず空いてる日教えろよ。予備校とかも、休みの日くらいあるでしょ』

「予備校、ねぇ」

周りは行っているが、私は学校の夏期講習すらサボる気でいる。もちろん気でいるだけで、実際にサボる程の勇気なんてないのだが。

『とりあえずさ、予定確認してメールちょうだい。具体的には、七月二十日の海の日の予定確認しといて。花火行こーぜ、花火!』

んじゃ、とこれまた一方的に電話を切るユキ。溜め息とともに、携帯のスケジュール機能を起動する。とは言っても、こんな機能を活用することはない。活用するような予定なんて、そもそもない。

適当な理由をでっち上げようかとも思ったが、中途半端に真面目な私は、「空いてるけど」と消極的な参加の意思表示をしたのだった。

 

「た~まや~」

ピンクの浴衣を着たユキが、無駄に明るい声で楽しげに叫ぶ。盛った茶髪は和服には不釣り合い。その派手さは、私には理解できない。

「花火って、ここ?」

かつて港として栄えたこの海沿いの町には、山を切り崩して作った住宅街がある。山を登り、さらにその海側の方に行くと、対岸のテーマパークで打ち上げられる花火がよく見えるのだ。

中学生の頃まではよく皆で集まって見に来ていたが、高校になると本会場の方に行くようになり、こちらで見ることはなくなってしまった。

「良いじゃん、たまにはさ。こっからでも、充分綺麗なんだし」

「まあ、そうだけどさ」

ひゅうと花火を打ち上げる音。距離があるため、音はいくらか遅れて聞こえる。打ち上げられたのは、今までよりも一際大きく、ピンク、黄緑と多彩な火を散らしていく。恐らく、これからがピークなのだろう。

「た~まや~」

「てかさ、港祭はカレシと来るもんじゃなかったの?」

いつか誰かが言っていた台詞を、無邪気にはしゃぐ本人にお返しした。けれど本人からは、あっけらかんとした調子で言った。

「別れた」

え、っと花火からユキの横顔に視線を移すが、その顔はただ単純に花火を楽しんでいた。

「だって、あんなに仲良かったのに」

「まー仕方ないんじゃない? 付き合ってたって他人同士なんだし、ずっとくっついていられるわけじゃないでしょ」

「でも……」

何か、やりきれなかった。

こう言うのもなんだけれど、ユキは外見から、男遊びの激しい女の子という印象を受ける人が多い。けれど実際は夜遊びもしないし、付き合っていたのも中学二年生からずっと同じ人だ。本当に二人は仲良く、時々バカップルぽく見えることはあるけれど、純粋に好き合っている感じが見受けられた。

だからこの二人に、“別れ”なんて言葉が割り込んだことが、ショックだった。

「さ、この話は終わり。それよりも、もっと大事なこと、話そうと思ってたんだけど」

「大事な、こと?」

花火を瞳に映したまま、ユキはやけに明るい口調で言った。

「私さ、高校卒業したら、アメリカに飛ぼうと思うんだよね」

冗談ともつかないそんな台詞が、けれど私には、本気なんだなと分かってしまった。彼女が一度も、こちらを見ようとしないから。昔からそうなのだ。ユキは、真剣に考えて話をする時程、相手の顔を見ることができない。

「アメリカ、って、どうして……」

「あれ、覚えてない? 昔っから言ってたじゃん。私、アメリカに行ってビッグになる、って」

「そんなこと……。あっ」

言っていた。というより、書いていた。小学校の頃の卒業文集で、確かに。

「行ってさ、どうするの?」

「ん? 決まってんじゃん。ビッグになるんだよ」

「だから、具体的に、どうすんの!」

自分でも気付かない内に、私は声を張り上げていた。ユキも驚いた表情で私を見る。

また一つ、大きな花火が瞬いて消える。

ユキは少しずつ表情を崩し、穏やかな顔で言った。

「いやあ、これが全く決まってなくて。ま、向こうに着いたら何とかなるでしょ」

「危ないよ、一人でなんて。それに、そんな子供の頃の夢なんて……」

「思うんだけどさ」

ユキは再び、花火に目を向けながら言った。

対岸の空は、様々な色で染め上げられている。

「子供の頃の夢って、大事だと思わない? 何て言うのかな。自分の中の、一番最初の気持ちっていうかさ」

「最初の、気持ち?」

遅れて聞こえる音も、もはやどの花火のものかは分からない。たぶんこれが落ち着く頃に、祭も終わってしまうのだろう。

ユキは、その光の一つ一つを、目に焼き付けるように眺めている。

「その最初の気持ちを叶えられたらさ、自分の人生に、もっと意味が持てると、と言うかさ」

何言ってんだろ、と照れ笑いを浮かべるユキの顔は、何かをふっ切ったようで、とても、綺麗だった。

ユキにどんな変化があったのかは分からない。けれど、それを、ユキは悪いように受け止めてはいないようだ。

「そういやさ、さよは何書いたんだっけ、文集にさ」

「私?」

何を、書いたんだっけ?

あの頃の私は、何になりたかったんだっけ?

「確か……」

「絵本作家、でしょ?」

「あっ」

そう、だった。

私は幼稚園の頃から絵本が好きだった。大人になったら、自分も何かを描いてみたいと思っていた。

けれど、そう思ったことすら、今まで忘れていた。

「自分の夢でしょうが。忘れちゃってどうするの」

「ほんと、だね。でも……」

そんな夢、思い出したところでどうにもならない。絵本作家なんて、なれるかも分からないし、なれたところで、食べていけるのかも分からない。実力以上に、運だって必要だ。そんな世界で生きるなんて、実力のない人には、ギャンブルみたいなものだ。

そんなものを目指して、何になるんだろう。

「無理、だよ。これから受験して、大学入って、就職して、働いて、結婚して、子供産んで。そういう生き方をすることが、求められてるんだよ」

そう、親や先生達は、私達にそういう生き方をして欲しいと望んでいる。その生き方が正解で、成功で、幸せになれる。

悔しいけど、それはどこまでも現実的で、堅実な生き方だと思う。

花火の音が、少しずつ小さくなっていく。本当に、もうすぐ終わってしまう。

ユキは、底抜けに明るい声で言った。

「つまんなくない? そういうの」

花火が小さくなっても、ユキは目を逸らさない。

「正しい生き方かもしれないけど、やっぱつまんないよ。そういう生き方したいんなら良いけど、そうじゃないのなら、自分が、可哀想だよ」

「自分が、可哀想……?」

うん、頷くユキ。

「さよはさぁ、もっと自分を楽しめば良いのに。あんた、自分で思ってるよりもずっと面白い人間だと思うよ」

「そう、なのかな……」

「そうだよ。だからさ、目指しちゃいなよ、絵本作家」

花火が終わった。あれだけ響いていた音も消え、集まっていた人達も散り散りにどこかへ行ってしまう。けれど、ユキの瞳の中には未だ、いくつもの輝きが瞬いているようで。

「あのさ」

ユキは立ち上がり、浴衣の汚れを払った。

「さっきからそんなに顔見られると、照れくさいんですけどー」

頬を赤らめる様子が、どこか可愛らしいなと思いながら、私も立ち上がった。

「まあ、良いじゃん」

そうして、私達は歩いて坂道を下っていく。暗い道は、進むと町の灯に照らされて。

何となく、心細さも紛れていく。

明日からのことを考えると憂欝なことも多いけれど、何とか進めそうだ。

ユキと二人で進んでいると、そう思えた。